自転車に乗って

ウチの近所に川沿いを散歩道にしている所があります。
ここは、ジョギングやウォーキング、犬の散歩をする人をはじめ車が来ないので自転車で通り抜ける人も多い、近所の憩い的な道になっています。
特に、春は散歩道の桜並木が大変美しく、この時期は遠回りになっても散歩道を通ります。
ここ何年か前から、テレビ中継をされるようになり、週末の人手は年々倍増しています。

今年、桜が満開の時期に自転車でこの散歩道を通った時です。
道幅2メートル弱にオバサン4人が横に並び歩いていました。
道幅いっぱいにゆるゆると歩いていて邪魔だと感じました。
しかし、人通りが多いので歩行者に遠慮しながら、道の端ギリギリでオバサン横一列を通り抜けました。
すると「こんな所に自転車乗ってきやがって」と聞こえよがしにオバサンが怒っています。

さっきまで「人がいっぱいいるから自転車は遠慮気味に」と思っていた気持ちが吹っ飛び
「なんだと?(怒)こちとら普段ここを自転車で通ってるんだぞ?この道は自転車通ったらいかん法律でもあるのか?それともお前の持ち物か?そもそも4人道幅いっぱいに並んで歩く方がよっぽど迷惑じゃ!!」と心の中で絶叫していました。(^^ゞ

この出来事と、お互いの行動を心理学で考えると3つのポイントがあります。
まずは、自分が行った行為に対して否定されている事。
誰でも自分なりに自分の行動を正当化しようとします。
私の場合、「散歩道」は散歩する所と言う固定観念があり、オンシーズンの人手に対して負い目を感じながらも「普段自転車で通っている道」だから通っても良いと言う部分です。
それを、頭ごなしに非難された訳です。人の心理は批判や非難を受けると自分の価値をも否定されていると感じ強い不快感を抱きます。
これを認めると、自分で自分を否定する事となるため強い反発心が働くのはごく自然な心理状態です。
次に「公平感」と「正義感」です。オバサンも「散歩道」は散歩する所と言う概念があるため自転車での通行に対して「公平感」と「正義感」を刺激され不満が口に出たようです。
逆に私の場合は、「道幅いっぱいに並んで歩く」事に対して「公平感」と「正義感」を刺激され「そもそも4人道幅いっぱいに並んで歩く方がよっぽど迷惑じゃ!!」と言う考えに至り、さらに反発心が強くなったのです。
言わば、遅刻して来た人に「遅刻するな」と言われたようなものでしょう。
最後に、物事が起った時にどう考えるかです。
自分が悪いと考える「自罰的」、相手が悪いと考える「他罰的」、そして道幅が狭いのが悪い等と他に対して諸悪の根源を考える「無罰的」の3種類があります。
この展開では、お互いが相手に対し不平感を持っているので相手が悪いと考える「他罰的」ですね。
普段から「他罰的」な思考や感情を持っていると、対人関係での不平不満や欲求不満を抱えトラブルメーカーになる場合もあります。

自分の良い部分ではないので、ここに発表するのはお恥ずかしい限りです。(^^ゞ
この出来事の直後は物凄く腹が立っていました。
後になって冷静に観察すると、時間にして2〜3分の間に心理的にいろんな事が起っていて大変興味深いと感じました。

普段の感情や思考、行動はいろんな心理が働いています。
自分の心理の流れを把握できれば、いろいろな気付きを得る事もあります。悩みの根本を退治する事も出来るかも知れません。
今後もいろんな心理学的なお話をご紹介していきますね。
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