団体・その2

前回からの続きです。
気軽に行き始めた「教室」で習う事は、健康だけでなく精神面にも良いらしく、スピリチュアルな成長が出来ると言われているそうです。
一見とても良さそうな感じですが、スピリチュアルな成長のためには、生活が破綻しかねない金額を要求されます。
高額な禁煙グッズを揃えたり禁煙セミナーに通っても、禁煙をするのは自分自身の意思と行動力が必要です。
それと同じで、スピリチュアルな成長はお金を払えば必ず出来るものではなく、自分自身の「気付き」が必要です。

充実した日々を送っている人、悩みや問題があっても自発的に解決しようとする人などは、物事に対して自分自身で冷静に見極めようとする傾向があります。
そのため、自らの「迷い」に翻弄される事はまずありません。
「あなたの成長のためには、○○○万円のレッスンが必要だ。そうしないと幸せになれない」などと言われても、このタイプの人は物事の本質を見ようとする傾向が高いため、表面的な言葉や態度を看破します。

一方、悩みや問題を抱えている人の多くは、団体からの説明を聞いて「スピリチュアルな成長=悩みや問題を解決してくれるのではないか」と解釈したがります。
それがいつしか「団体での活動=悩みや問題の解決」の図式に変わり、団体の活動を熱心にすれば悩みや問題が全て解決され自分は幸せになるのだと思い込み、どんどん熱心な活動になっていきます。
また、日々の生活が満足出来ない人、自分がどう生きればいいのか解らない人などは、その要因や原因が見出せないため、常に漠然とした迷いや不安を抱えています。
そして、「スピリチュアルな成長(団体での活動)=自分の生き方が解り満足な日々が送れる」と考える傾向があります。
それも、言われた通りの順番で活動さえしていけば、漠然とした迷いや不安は全て解消されると解釈します。
どちらにしても、自分を救ってくれる場所「であって欲しい」と思う気持ちが強ければ強い程、無意識的に自分を救ってくれる場所だと思い込みます。
そのため、ちょっとした矛盾や辻褄の合わないことがあっても、無意識的に半ば強迫的に自分に都合の良い解釈します。
「あなたの成長のためには、○○○万円のレッスンが必要だ。そうしないと幸せになれない」などと言われると、心の片隅には[ちょっと待て、自分で出せる金額じゃないぞ]と言う疑問が湧いても、それを抑え込み[これさえ受ければ幸せになれる][受けなければ幸せになれない]と強迫的に考えます。

こう言った団体の中に入り、おかしいなと思いそこから離れる人とどっぷりはまってしまう人にはこんな違いがあります。
別の見方をすると、自分自身で等身大の自分(自然な自分/ありのままの自分)を知っている・理解している人と、偏った主観(こうあって欲しい自分/こうでなくてはいけない自分)が真実の自分だと思い込んでいる人との違いと言っても良いでしょう。
また、物事に対して他罰的で依存的なタイプもどっぷりとはまる性格傾向です。

もうひとつ要因があります。それは次回にお話します。
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