ココロの鏡・その3

前回は、その1の例を「投影」と言う心の動きで解説していきました。
最後の1例が残っていますのでご紹介します。

さっきまで笑って話していた友達や恋人が無口になると、「私、何かいけない事言ったのかな」「自分のせいで怒らせたかな」「まずい、嫌われたかな」と考える人がいます。
このように「嫌われたのではないか」とすぐ考えてしまうタイプの人は案外多いと思います。
実は私もこのタイプです。(^_^;)他人と一緒いる時は「無言の間」が出来る事が怖くてやたらベラベラ喋ってしまいます。

この考え方も「投影」です。
自分で自分の事が好きになれない自己評価の低い傾向のある人は、「自分が嫌い」を他人に投影するため、「あの人は私を嫌っているのではないか」「嫌われたかも知れない」と考えてしまうのです。
同じように、人から頼まれたら断れないタイプの人も、断ると「嫌われるのではないか」と考える傾向があるため断れないのです。
また、普段から確たる証拠もないのに「人に嫌われている」と思いこんでいるタイプも同様です。
余談ですが、この傾向が強い人は「自分が思う程、人は自分を意識していない」と言う言葉をポジティヴに考えてみてください。

以前、反動形成と言うのをご紹介しています。(第143回「好きな子をいじめる男の子」)
「自分の本当の感情・考え・欲求が、自分の観念や道徳観、世間の常識から外れていると無意識的に強く感じている場合」反動形成だけでなく投影する場合があります。
例えば、仕事が嫌だと言う本心があっても、それ以上に「仕事を辞めてはいけない」「仕事は真面目にやらなければいけない」と言う意識が強ければ、本心を心の奥底にしまい込んでクソ真面目に仕事を頑張ってしまいます。これが反動形成です。
そして、体調不良で良く休む人や仕事を要領良くこなす人に対しては強い不快感を抱きます。
心の底では「仕事をずっと休みたい」と思っていても、仕事を休むのは怠け者であり社会人として失格と言う意識があるため、自分の嫌な部分を「休んだ人」に投影します。
また、心の底では「要領良くこなして早く仕事を終わりたい」と思っていますが、それが叶わない事が自分にとって不快なため「仕事を要領良くこなす人」に投影します。

このように、投影は本人にとって受け入れられない感情や思考、自身の状況などを心の底に押し込み(自分の事ではないようにするため)自分を他者として写し出す、いわば「ココロの鏡」のようなものでしょう。
その鏡に見えているのは他者ですから、「自分そのもの」が映し出されているとは気付きません。
さらに、投影された他者自身が歪んでいるのではなく、ココロの鏡を持っている「本人の解釈」が歪んで捉えます。

そろそろ正体が解ってきたかも知れませんが、さらに衝撃の事実があります。
それは次回にご紹介します。
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