嘘の考察・その2

前回は自分を守る嘘と自分を良く見せる、優位に立つ嘘についてご紹介しました。
今回は他の嘘の種類をご紹介します。

■社会生活や対人関係を円滑にする嘘
例えば、上司から可愛いだろうと生まれたばかりの子供の写真を見せられた時、真っ赤な猿顔だと思っても「可愛いですね」と言わざるを得ないかも知れません。
猿そっくりですね、なんて正直な感想を述べると上司は不愉快になり、場合によってはその後気まず〜い関係になるかも知れません。(^_^;)
酷い場合はボーナスの査定や昇進に何らかの圧力がかかる可能性がないとは限りません。
大人になると、自分と相手の立場を考えて空気を読み、お世辞や社交辞令を言う必要がある時は少なからずあります。
どんなに正直者でも、場面によっては本意でない言動をしなくてはならない事はありますね。
その1の冒頭で述べたように、自分の本音・本心・本意に基づいた言動以外を嘘とするならば、嘘をつき倒さなければ社会生活を円滑に送る事は出来ないでしょう。

■相手を守る嘘
余命宣告を本人に知らせない家族、事故で亡くなった親を「星になった」と子供に教える大人などは、本人に精神的なショックを与えないためにつく嘘です。
それ以外にも、思いやりから真実を教えないための嘘や、真実とは異なる話を相手に伝える嘘などもあります。
小説家O・ヘンリーの「最後の一葉」の短編は命がけの素晴らしい嘘が描かれています。
肺炎を患い、医者から助かる見込みは十にひとつと宣告された画家志望の若い女性がいました。
生きる気力が生命を左右すると言われていたものの、本人は窓から見える蔦の落ち葉を数え「最後の一枚が散るとき、わたしも一緒に行くのよ。」と話していました。
ルームメイトが老画家にその話をした所「蔦の葉が散るから死ぬなんてけしからん」と老画家は息巻いていました。
冷たい雨が降った後、とうに散っているはずの最後の一枚はしっかりと留まっています。
落ちないの葉の強さを見て若い女性は死を願う事の罪深さに気付くと共に生きる希望を見出し、体調が回復していきました。
一方、老画家はびしょびしょに濡れた状態で亡くなっていました。
最後の一枚の葉は老画家が描いた本物そっくりの枯葉、画家として大成出来なかった老画家の最高傑作だったのです。

■相手を陥れる、騙す嘘
キツい冗談や軽い悪意があって相手をからかう嘘も、嘘をつかれた人によってはこの範疇に入ります。
例えば意中の異性が自分の友人に興味を持っており、友人もまんざらではない事を知ると、「友人は既に彼(彼女)がいる」と嘘をついたり、友人は性格が悪い人だと思わせるために嘘をつく場合もあります。
意中の異性を友人にとられたくない気持ちでつい出てしまった嘘だとしても、2人の自然な気持ちを引き裂くかも知れませんし、性格が悪い人と言いふらされた友人は意中の異性だけでなく、多くの人から偏見の目で見られる可能性もあります。
相手を陥れるための嘘や騙す嘘は、別の見方をすれば相手を貶めて自分が得をする嘘とも言えます。
詐欺や悪徳商法などは嘘で相手を貶めて自分が利益を得る犯罪です。
窃盗や空き巣以上に、経済的損失ばかりか精神的な苦痛も伴います。

他には、自分の勘違いや間違った知識のために結果的に嘘をついた事になってしまった、出来るはずだったものが出来なくて結果的に嘘になった、予測されるトラブルを回避するために前もってつく嘘などもあります。

いつもつい嘘をついてしまう癖を虚言癖と言いますが、自分でついた嘘が嘘でなくなる心の病があります。
演技性人格障害や境界性人格障害は自分が注目されるために様々な嘘をつきます。
統合失調症は妄想や幻覚と現実の区別がつきにくく、本人は真実だと思っていても事実とは異なる事があります。
虚偽性障害は病気や体調不良を装う(早い話が仮病)のですが、場合によってはついた嘘通りの体調になる場合がありますし、自傷行為を繰り返して病気の状態を作り出す場合もあります。
このような心の病から出る嘘の特徴は、当人が嘘だと認識していない、或いは嘘の自覚が希薄である事が挙げられます。

次回は嘘の見破り方をご紹介します。
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