気付きの考察

スピリチュアルな事柄に触れると、必ずと言って良いほど登場するのが「気付き」でしょう。
自分(自己/霊性/魂)の成長のためには気付きが必要だと言った言葉がたくさん見られます。
しかし、成長するためには気付く必要のある「何か」とは何かをズバリと答えているものはなく、大概が漠然とした言葉を連ねたものばかりですので、痒い所の周りを掻かれたような何とも微妙な感じです。
一体「気付き」って何?と訝しげに思う人もいるかも知れません。
今回はそんな気付きの考察です。

気付き、つまり気付くの意味を辞書で見ると「それまで気にとめていなかったところ(意識になかったこと)に注意が向いて、物事の存在や状態を知る。」とありました。
それまで気にとめていなかった事柄は、気にとめてないだけで「なかった」のではなく「あった」事柄です。
例えとして適当かどうか解りませんが(^_^;)
海外の大手デパートで欲しかったロレックス(ROLEX)の時計を買い、3ヶ月程経って時計に傷がついていないか良く見ると、文字盤のロゴがROLEXではなくPOLEXになっていました。
持ち主は大手デパートで求めた品は正真正銘の本物であり偽物である筈がないと思い込んでいましたので、良く見るまで気付きませんでしたが、この時計は手に入れる前から文字盤にPOREXと書かれていたのです。
気付きとは、現時点では気にとめていない(意識していない)から解らないけれど、自分の身の回りや自分の思いの及ぶ所に存在する事柄であると言えます。

自分(自己/霊性/魂)の成長とは、自分自身の心の成長を指しています。
成長するためには気付く必要のある「何か」について、大きな粘土細工を例にして考えて見ましょう。
途中まで出来ている凸凹な粘土の形からまん丸な形を作っていきます。(大きいので両手でお団子を作る方法は使えません。^_^;)
「凸凹の粘土」が「今の自分の心」、作っていく「まん丸な形」が「成長した姿」と仮定します。

成長の指針や指標はスピリチュアルで多く語られています。
粘土の例を用いると、「丸とはこんな形です」とか「粘土はこうして扱います」とか「出っ張った部分を削り、凹んだ部分に粘土を盛ると丸に近づきます」とか「こんな凹み方ならばこれ位粘土を盛ると良いでしょう」と言う情報はたくさん手に入ります。
しかし、自分が扱う凸凹の粘土の「どの部分」を「どれ位」削って、「どの部分」に「どれ位」粘土を盛れば美しい丸が出来ると言う「マニュアル」はありません。
粘土の形は人によって全て違いますし、触れば無限に形が変わりますので、それらを全て説明したマニュアルなんて現実的に作れませんよね。
同様に、心は人によって様々ですし、刻々と変化する、言わばこの世に1つしかない無限で壮大で流動的な世界ですから、「何か」をズバリと答えているマニュアルを他から得る事は現実的に不可能なんです。

ではどうすれば良いのでしょうか。
粘土の例を用いると、自分の凸凹の粘土を良〜く観察してその形を把握する事です。
形を観察していると、「ここの部分」が少し出っ張ってるのではないかと言う事が段々解ってきます。
その時、「出っ張った部分を削ると丸に近づく」と言う情報を知っていれば、「ここの部分」を少し削ればいいんだと言う事も解ってきます。
これが「気付き」です。

ちょっと解りにくい例になってしまったかも知れませんが…。(^_^;)
「気付き」は、今は意識していないだけで実は自分のすぐ近く(実は心の中)にあるとても身近な存在です。
自分の心と素直に向き合ってはじめて得られる、自分の成長に最適な「お役立ちマニュアル」なのです。
[1]週刊ココロコラム
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