孤独

私は悩みを抱えた方にお会いする機会が多いのですが、時々こんな話を伺います。

会社でのトラブルは特にないし、仲の良い人もいるし、家族とも仲良くやっている……けど、いつも何か孤独を感じる。

友人はいるけど親友と呼べる人はひとりもいない。だから友人と一緒にいても何だかひとりぼっちのような気がする。

別にいじめられる事もないし、クラスの人ともそれなりに話せるけど、ホントの友達はいない。

遊び仲間も飲み仲間もいっぱいいるけど、所詮それだけの関係で、心から信頼できる友はいない。

夫はいつも仕事で遅いし、地元じゃないから家族も友達も近くにいないし、ご近所さんとも付き合いないし、結局いつも自分ひとり。

無人島にひとり取り残されている訳ではなく、自分の周りに顔見知りの人や親しい人が何人もいるのに、孤独や淋しさを感じているのです。
今までお話した方々の傾向から見ると、このような孤独感を抱いている方は、往々にして「対人関係が苦手」だと感じている傾向があります。
他人から見れば、真面目で誰とでもそれなりに仲良くできる「いい人」で、社会的なコミュニケーションもきちんと取れる方です。
なのに、対人関係が苦手で孤独を抱くのは何故なのか、ひとつのケースとして考察してみたいと思います。

個人によって異なりますが、孤独感が生じるきっかけをさかのぼると、主に赤ちゃんや小さい頃である事が多いそうです。
例えば、成長して「しつけ」を行うようになると、今までOKだった事がダメになり、意見の相違によって赤ちゃんは親に見捨てられるのではないかと言う不安を抱きます。(分離不安)
他にも、今まで自分ひとりに向けられていた愛情が生まれたばかりの弟や妹に移ってしまった時の寂しさ、長い時間ひとりでお留守番をした時の不安、両親が離婚して片親と会えなくなった淋しさ、などいろいろあります。

孤独や淋しさとは、愛されている(庇護されている)実感がない事と言えるでしょう。
愛されている実感を得るために、親の言う通りの「いい子」でいようと自分の個性を押し殺したり、逆に親の目を自分に向けるためにわざと悪い事をしたり、常に親の顔色を見て気を遣うなど、子供なりに必死で努力します。
また、親からたっぷり愛情を注がれても「愛してもらっていない」と捉えたり、自分は愛される価値のない人間だと思い込む事もあります。

愛されている実感とは、別の見方をすれば自分(の個性)の存在を認められ、自分が必要とされている実感と言えます。
自分の個性を押し殺した「いい子」で、相手の顔色を見て気を遣う事が性分となった人は、他人から見ると、真面目で誰とでもそれなりに仲良くできる「いい人」で、社会的なコミュニケーションもきちんと取れる方でしょう。
しかし、自分の個性を押し殺している人が相手に見せているのは「本当の自分ではない自分」です。
そんな自分を愛してくれたとしても「本当の自分」ではありませんので、愛されている実感を得にくいのかも知れません。

さらに「愛される価値のない人間だ」と思っていたらどうでしょう。
他人から愛される事などないならば、これ以上「嫌われない」ようにしなければ、もっと孤独になってしまうと言う不安を感じるかも知れません。
相手と深く関わったら嫌われるかも思えば深く関わらないようにするでしょうし、自分を見せれば嫌われるかもと思えば自分を見せないでしょう。
どんな人からも嫌われないように振舞う事は精神的に非常に疲れますので、対人関係が苦手になっていくかも知れません。
これらは結局、自分から相手との「絆」を弱めている事になります。

誰よりも愛情が欲しいのに、誰よりも淋しいのに、自分から人を遠ざけ、孤独を募らせる
何だかちょっと悲しい悪循環ですね。

ぶっちゃけ、ホントの自分を見せたからって嫌われる事はそれほどありません。
それよりもホントの自分を見せないほうが好かれない可能性があるのです。
もし、悩んでいる人はちょっとだけ勇気を出して、自分から人とのつながりを意識して、ホントの自分を見せてみて下さい。
それで仲良くしてくれる人は、きっと本物の親友ですよ。(^^)
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