病気

私は長年付き合っている病気があります。
薬を飲み続け、症状がほぼ出なくなってから10年近く経っていますが完治はしていません。

病気が解った最初の2年位が一番症状が酷かったのですが、とにかく目覚めた瞬間から酷く疲れています。
例えるならば、数キロの遠泳とマラソンをし終えた後のようにぐったりしていて、じっとしていても酷い動機と息切れがあり、体が細かく振るえ、大量の汗をかきます。
地下鉄の階段は休み休みでないと上れず、掃除や洗濯などの家事も1つするとしばらく横にならないと次が出来ず、徒歩5分程度のコンビニの往復をしただけで倒れこんで1時間ほど動けませんでした。

買い物に行ったり、飲みに行ったり、旅行をしたり、仕事やバイトをしたり…今まで普通に出来ていた事が辛くて出来なくなりました。
朝から夜まで何もせずだらだらと過ごす事しか出来ず、そんな自分が情けなくてとても落ち込みました。
さらに追い討ちをかけたのは、見た目は健常者と何ら変わりないのに、誰でもできるちょっとした作業ですら辛くて出来なかったため、「態度が悪い」「怠けている」と評価される事でした。
精神的に自分で自分を責めている上に他者からも責められ、自己嫌悪や悔しさで泣きたいけれど、疲れ過ぎて声を上げて泣く事も出来ない日々が続きました。

少し症状が治まってくると、何故自分がこんな病気にかかってしまったのだろうかとか、病気になった原因は何だろうか、と考えるようになりました。
しかし、この病気は発症の原因が医学的にもまだはっきりと判っていませんし、ましてや「何故『自分が』罹患しなければならなかったのか」と言う問いに明確な答えを得るはずもなく、結局落ち込むだけでした。

また、周囲から「怠け者」と評価されたくないため、「人並み」に動こうと頑張り過ぎて体調を崩す事も良くありました。
仕事も体調不良で遅刻や欠勤を繰り返し、その度に周囲に迷惑をかけている申し訳なさと自己嫌悪で、またまた落ち込みます。

そんな生活の中で、自分が病気になった理由を知るよりも、もっと重要な事があるのではないかと気付きました。
「人並み」が出来ない自分を責めるより、「今、自分が出来る範囲」を知り、できる事をやれば良いのではないか。
「人並み」にこだわって周囲に迷惑をかけるより、周囲に「自分が出来る範囲」を知ってもらう方が良いのではないかと考えました。
思い切って勤め先の上司に病気の事を打ち明けたら理解して下さり、私にとって無理のない出勤形態に変更出来るよう尽力して下さいました。
職場の仲間や友人や家族に、自分の体調や症状、そして自分が出来る範囲を積極的に話した所、ほとんどの方が理解して下さいました。

そんな中で、病気を嫌うのではなく受け入れる、戦ったり逃げたりするのでははなく付き合うと言う事に気付きました。
すると精神的に少しずつ楽になり、それと共に体調面も少しずつ良くなって行きました。
幸いにも病気の発見も早く、周囲も病気を理解しサポートしてくれましたので私はとても運が良かったのですが、その事に気付いたのは随分と後になってからでした。

知人が急激に体調を崩して救急車で運ばれ、医師から私と同じ病気と診断された事をつい数日前に知りました。
今はきっと精神的にも体調もお辛いだろうと励ましのメールを送りました。
ご本人はショックを受け非常に落ち込んでいたそうですが、メールをご覧になって近くに同じ病気の人がいて心強いし、励ましてくれて随分と気持ちが軽くなったと後から人づてに伺いました。
ココロコラム連載当初から私の持病については書つもりはありませんでしたが、この一件で考えが変わりました。
このコラムでもし何かの病気や障害で辛い思いをされている方の心が少しでも軽くなるならば幸いです。
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