常識

先日、知人から愚痴を聞かされました。
仕事に来た20代前半の女性が連絡もなく遅刻をして来た上、1時間の休憩時間が1時間半経っても帰ってこない、帰ってきても悪びれた様子はなく謝罪もなく、トドメは接客中に、終わる時間だから帰りたいと言って来たそうです。
「時給タダ取り」とかなりキレていました。
「接客の仕事なのに接客中仕事時間が終わったからって帰ろうとする?常識なさ過ぎてマジで信じられない。」 と嘆いていました。
話を聞いて、社会人として仕事をする上で最低限のルールすら守っていないと思いますし、「時給タダ取り」は私も同感しました。
特に、接客の仕事でお客さまの対応を途中で放り出して帰るのは接客業の常識に欠けるでしょう。
ところが、欧米では就労時間中はプロとして働きつつも、就労時間が終わると同時にきっちり帰るのが常識だそうで、スーパーのレジを打っている最中でも放り出して帰るそうです。
常識とは、一体何でしょう。

健全な社会人なら持っているはずの(ことが要求される)、ごく普通の知識・判断力。(「新明解国語辞典」)
一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。(大辞泉)

だそうです。しかし、「常識」はやっかいなもので、時代や場所によっても変わってきます。
「この業界では常識だよ」と言った狭い範囲で一般的となっている常識もあります。
その上、目玉焼きにはソースをかけるのが常識だと思うように、自分自身の主観でも変わってきます。

常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。

と言ったのはアインシュタインです。いかにも天才の言葉といった感じです。
自分が常識だと思っている事が本当に常識なのか解らなくなってきますね。
常識は、あやふやでボーダレスで掴み所のない概念なのかも知れません。

常識に捉われ過ぎると豊かな発想や行動力は規制されてしまいます。
自分で何か行動を起こそうと思っている人にとって常識は邪魔なものになるかも知れません。
しかし、社会生活を送る上で、あやふやでボーダレスで掴み所のない「常識」を無視する事も出来ません。
最後に、「常識検定試験」を行っている日本常識検定協会の言葉を引用します。
あやふやでボーダレスで掴み所のない概念にひとつのガイドラインを示している言葉かも知れません。

一般的に「常識」と呼ばれているものは、私たちの日常や社会生活での潤滑油的役割を果たしたり、より豊かな人間関係を形成していく上で基本となるものです。しかし昨今では身勝手な振る舞いや会話などで、時には誤解を招きお互いが傷ついてしまう場合も少なくありません。
社会は常に進展、変革を求められ変化し続けています。それに伴い、考え方、行動においても変化し、世代間格差が広がってきています。人と人、お互いが相手のことを考えて会話や行動をするときに、どんなに時代が変化しても、人間としては変わらないものがあるのではないでしょうか。
[1]週刊ココロコラム
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