過保護と過干渉

時折、呆れるほど過保護な「バカ親」や、そのバカ親の「ダメ子供」の事例などが雑誌やテレビなどのマスコミで取り上げられる事があります。
その最たるところはモンスター・ペアレントや以前コラムでも紹介したシュガー社員と言えるでしょう。
今回は保護者が被保護者を養育する際の過保護と過干渉についての考察です。(以降は「親」と「子」でお話を進めていきます。)

「過保護・過干渉」と一緒に語られる事が多いこの2つですが、実は過保護と過干渉は反対の意味合いがあります。

保護とは、親が子の安全を守る以外にも、子がひとりでは実現困難で「適当な/相応な」望みや欲求を、親が叶えてあげる事も含まれます。
例えば、まだひとりでトイレに行けない子のトイレを親が介助するとか、人ごみで見たくても見れない花火を見せてあげるために抱っこしてあげる等です。
過保護とは、子がひとりで実現可能な望みや欲求や、「不適当な/不相応な」な望みや欲求を、親が叶えてあげると言う事になるでしょう。
例えば、自分でくつ下を履けるのに履かせてあげるとか、1台あれば十分使えるパソコンを欲しがる度に何台も買い与える等です。
また子の安全に関して過剰に心配し、子の望みや欲求を制限する等も過保護の範疇に入るでしょう。
例えば、危ないから一切外で遊ばせないとか、転んで怪我をするといけないから絶対自転車には乗せない等です。

子が自分で出来る物事も親が率先してやってあげると、自発性に欠け、依存的な子に育つ傾向があります。
それだけでなく、自発的な行動によって生じる成功体験や挫折体験の機会が少ないため、挫折や失敗に弱く、やる気を持って物事に取り組む事や最後まで取り組む事等が難しい傾向もあります。(後に述べる過干渉も同様の特徴があります。)
さらに、子が成長し、自分でやらなければならない物事でも、「やりたくない」欲求があれば親がそれを叶えてしまうため、責任を持たなければいけない状況でも逃避、或いは他人に押し付ける場合があります。
また、望むものを何でも叶えてあげると、欲求が叶わない経験の機会が少なくなり、思い通りにならないと強いストレスや精神的な動揺を感じやすくなります。

このように、子の意思を尊重し過ぎ、子の望みを叶え過ぎるのが過保護です。
反対に、子の意思を尊重せず、子が望んでいない事をやり過ぎる、或いはやらせ過ぎるのが過干渉です。 過干渉とは、子の意思や思考等の個性を認めず、親の価値観や思考や観念、時には趣味や親の世代の事柄などを子に押し付けるもので、支配やコントロールとも言えます。
学校(学歴・成績)、習い事、交友関係、趣味、生活態度、果ては会社(職種・実績)や恋愛・結婚等に対して、親が「我が子はこうであって欲しい」と細かく介入します。
過干渉で顕著に見られるものとして、部屋の引き出しの中、携帯電話の履歴やメール、パソコンに保存されているファイルやネット閲覧履歴、日記、個人宛の郵便物、写真、通帳等を本人には無断で調べたり見たりします。
プライベートな事柄まで干渉するのは、「望み通りの子」にするための監視や管理のためで、親が不愉快に思うものは子から排除しようとします。
例えば、写真の中に一緒に写る友人を見て不快に思った親が「この子とは遊んではいけません」と交友関係を絶たせようとするなどです。

親自身は「子の幸せを願うからこそ」或いは「子のためのしつけ」等と考え、過干渉に気付いていない場合が多いです。
しかし、子は小さい頃より条件付の愛情(言われた通りの事をしなければ愛情がもらえない)や、ダブルバインド(詳しくは第184回参照)の環境で育ちます。
そのため、感情や意思などの自己主張が上手く出来ず、低い自己価値や罪悪感を持つ傾向や、親の望む「良い子」を演じ続ける傾向があります。
また、自主性、決断や選択、コミュニケーション等をする機会があまりない状態で成長するため、自分から何かをする事が出来ず、対人関係を上手く保てない傾向も見られます。

過保護も過干渉も、どちらも「度が過ぎている」ものです。
しかし、適切なのか過ぎているのか、その基準も限度も明確なものはなく、個々の考え方によって異なりますので、実際には難しい問題を孕んでいます。
ひとつ言える事は、過保護も過干渉も、子を「個人」として認め、信用していないと言えるでしょう。
大人に比べて未熟・未発達であっても、子は発達の段階でそれぞれ自分でやりたい事や自分で出来る事が出てきます。
理想論ではありますが、子を「個人」として認めて信用してあげれば、必要以上に保護や干渉をせずに、本人の意思や感情を汲んで「見守る」事が出来るのではないかと考えています。
[1]週刊ココロコラム
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